領域代表挨拶

領域代表 菊地 和也
大阪大学大学院工学研究科
教授

 創薬シード分子を見出す戦略は、20世紀中盤に大きく発展した天然物探索に始まり、その後、コンビナトリアルケミストリーや多様性指向型合成など、網羅的探索に供する化合物ライブラリーの拡大へと潮流が変化してきました。しかし、比較的単純な合成化合物ライブラリーの分子数を増加するだけでは生物活性分子の効率的探索を行うことができず、創薬シード分子の探索は停滞しています。複雑な構造を持つ天然物は、創薬ターゲットとなるタンパク質等に高い特性を示すことから、創薬シードとしての潜在能力が再注目されています。近年は生物活性天然物の誘導体合成によって生物活性分子が開発された例があるものの、試行錯誤的な化学合成を用いる手法には長い年月を要し、生物活性分子を合理的に取得するための新たな戦略が必要です。

私達の研究領域「天然物が織り成す化合物潜在空間が拓く生物活性分子デザイン」では、これまでに様々な天然物構造に対し、情報科学的技術を用いたアルゴリズムを応用することで化合物潜在空間(Latent Chemical Space)を構築しました。この化合物潜在空間を用いることで、化学構造における類似性はないが同じ生物活性を持つ分子が、共通する生物活性クラスタに包含されることを示すことができました。さらに、ベイズ最適化を用いて潜在空間上を探索することで、比較的単純な構造を持つ新規生物活性分子をデザインすることもできます。このように、天然物構造を基盤とした化合物潜在空間を用いることで、これまで膨大な試行錯誤を必要とした複雑構造の単純化工程や類似活性を持つ新規骨格化合物の探索について、革新的な高速化と省力化が実現できます。

天然物と情報学研究との融合により生まれる化合物潜在空間は、データ駆動型ケミカルバイオロジー研究というパラダイムシフトを起こし、生物活性分子設計に変革をもたらします。この実現に向け、ケミカルバイオロジー、情報科学、有機合成の3班構成による「サイバー生物活性分子デザインラボ」を始動します。この化合物潜在空間から創出される化合物を起点とし、新しい生命機能解明や医薬・農薬シーズに結び付く画期的分子を高効率に開発できる生物活性分子デザイン法の新学理構築を目指します。

領域の概要

私達の領域では天然物の網羅的な生物活性データに基づき、画像処理や言語処理分野で威力を発揮している深層学習を応用して化合物潜在空間を構築することで、既存の化合物プロファイリングでは判別できない天然物の生物活性における特異性・規則性を発見します。A班ではケミカルバイオロジー的手法によって、天然物リソースから生物活性に関するデータを網羅的に収集します。さらに、潜在空間が生み出す化合物の生物活性を評価し、化合物潜在空間を活用した新たなケミカルバイオロジーを始動します。B班では、A班が提供する構造と活性のデータを情報解析により数値化し、班員が独自開発した複数のアルゴリズムの入力データとして用いることで潜在空間に反映させ、活性類似性予測の有効性と汎用性を強化します。また、得られた潜在空間によりデザインされた分子構造をA班とC班に提供します。C班は化合物潜在空間によって予測された生物活性分子の候補化合物を独自の化学技術によって合成します。候補分子の化学構造は多様かつ複雑であることが予想されるため、C班が有する独自かつ多彩な合成技術を適切に選択して対応します。また、このスキームを加速するために、保有する基盤合成技術の高度化を並行して行います。